顛末

奴隷が奴隷商人のことを憎みながらもその憎しみから目を背けて尻尾を振っている状態に近いです
むしろ歓迎するように受け入れた方が、心理的負担は少なく生きられるのです
奴隷根性が染み付いています
 
あの記事を書いてから5週間くらい経ったので随分冷静になりました
コピペブログに転載されているのを発見し、付いたコメントを全て読みました
冷静になったというのは「バカな暴論を書いたなぁ」という気持ちになったということではなく、
「もっと簡潔に書けたのになぁ」とか、
「ちゃんと主張が伝わるように構成を考えてから書けば良かったなぁ」とか、
そういうことです。
 
私の主張は女嫌いのキモオタの妄想そのものです
もっともらしくグチャグチャ理屈を捏ねたところで
あの種の偏見の根底にあるのは
「楽して気持ち良くなって金稼ぎやがって汚ぇ!!どうせヤリマンなんだからタダマンさせろ!!苦しめ!!あるいは死ね!!」
という身勝手でシンプルな感情だと思います

私はそういうキモオタ的な思考の人間にずっと支配されていて、
その主張を否定することができないほどに暴力で従わされていました
いつしか私自身の考えにも成り代わり
それでああいう記事を書くに至りました
私女なんですけどね
 
キモオタの文章を見ると、「ああ、これは、正しい意見だ」と感じてしまうのです
一方できちんとそういう意見を嫌悪する気持ちもあるのですが、理不尽なことを高圧的に言われるともうダメです
ネット上で声高に女叩きをするクズどもを見て、強姦されたばかりの頃の私は何も言えなくなりました
全て当然の批判であると思い込んで全てを読みました
読むと惨めで死にたくなるのに読まずにいることはもっと怖かったです
キモオタの負の感情は呪いのように私の中に残り、健全で前向きな思考になるのを邪魔します
これが私の「わけわからん」所以です
 
なのであの記事に賛成していた少数派こそ、本来は私の仇のような存在ということになります
 
強姦経験や風俗経験により女性としての感受性が粉々になっているので尚更、
「男の文章にしか見えない」という評価を受けることにもなったと自己分析しています
 
大っ嫌いで死ぬほどキモい意見だと思うのに、高圧的にネチネチ理屈をつけて言われると否定しきれなくなる
正しいと思ってしまう
そんな自分のことも殺したいくらい嫌いです