虐待

虐待されました

父は包丁を持って走って追いかけてきました
私は絶叫しながら壁際まで逃げて追い詰められました
包丁を首になすりつけてずらしながら
「お前は、カスだよな?」
「カスは、生きる価値ないよな?」
と言われました。
自分の口で「私はカスです」と言うように強要されました
このときの父の歯の並び、磨き残した歯垢の位置まで鮮明に覚えています
 
あるときは髪をつかまれて壁にゴンゴンと打ち付けられました
 
あるときは弟が私の背中を蹴るように強要されました
弟は渋々といった感じで蹴り、
つまらなさそうに父に「自分でやってよ」というようなことを言いました
父は弟に丁寧に謝って弟を開放しました
 
日常的に殴られる私の苦痛は姉を蹴る程度の弟の不快感よりも下なんだと思い知らされました
 
そういうことをすることで私がどういう気持ちになるかを見越した上で
父は殊更丁寧に、これみよがしに弟に謝罪したのだと思います
 
それで憎くて仕方なかったのですが私はそんな父に養われている立場で、
立場を自覚していたので抗議しても喧嘩を売っても無視しても
結局は父にも他人にも「バカな娘の反抗」としか思ってもらえないことを知っていました
結局は五体満足で一日に三度のご飯が食べれていたのですから
母も、私の反抗期だと片付けたいようでした
 
今こう書くと洗脳されていたんだなと思います
父の書斎にはSM雑誌が大量に隠されていました
そのことを含め思い返すと今更ながら、今、吐き気がします
 
私は結局、「食べさせてもらっている恩」とかそういうもので
憎しみをごまかして父と距離をとるくらいしかできませんでした
 
最終的には中学3年生の頃、
馬乗りになって顔を殴ってくる父をいつまでも完全に無視していたらそれから殴られなくなりました
 
そういうことが積み重なって私の頭はおかしくなったようでした
「ツッコミどころが自分にある」状態が怖くて仕方なくなりました
キリスト教原理主義者のような考え方をしている部分がある、とも言われました
 
これは流石私のことを誰よりも考えて下さる方が言うだけあって、近いものがあると思います
ただ私の指針は宗教ではなく、キチガイのような理不尽な父で
私を原理主義者的な考えに駆り立てたのは信仰心ではなく、叩かれることへの恐怖でした
なので私は本当はああいう考えは大っ嫌いなんですが
思い通りになるまで、もしくは黙るまで殴る、という手段でずーっと支配されていた私は
大っ嫌いなそんな考えを、仕方なく、受け入れて当然のものとしなければどうしようもなかったです
もちろん私はそうだっただけで、同じ状況でも別の手段を選ぶことができる方はいると思います
ただ私にとってはそうする他にありませんでした
 
奴隷が奴隷商人のことを憎みながらもその憎しみから目を背けて尻尾を振っている状態に近いです
むしろ歓迎するように受け入れた方が、心理的負担は少なく生きられるのです
奴隷根性が染み付いています