それでも今この瞬間喉の奥が痛いけど

女嫌いの人がいて
私は女なので流石に私の目の前では普通の人なのだけど
その人は、どうもネットで見かける女叩きを濃縮したような価値観の人らしい。
とにかく否定したいのが先というか、認めないのが前提というか、そういう感じらしい。

女嫌いさんの話を聞くたびに、「異性嫌いっぷり」が昔の私のようだなと思った。
別に本当は「男性は全員ただちに死ね」と思っていたわけでもなかったけれども、
一度無理矢理汚された身には、全然関係ないカップルの男性が彼女に向ける性欲がチラッと見えた瞬間にさえ怯えて内心発狂し、
ファミレスのお客様がちょっとしたものをプレゼントしようとしてきただけで「=身体を差し出せということか」という考えが拭えなくて、攻撃・軽蔑する心を止められなくなった。
怖すぎて直接は攻撃的になれないし、同時に「流石に片っ端から性犯罪を起こすような奴がそうそういるわけないだろ」という現実も頭では分かっていたので、
多分、普通にしているだけの男性に失礼をしないように、心を悟られないようにする努力はしていた。
けれどゲイに掘られて、その瞬間を収めたビデオが大切な人全員に送られて、それから死ね。それくらいが妥当な扱いなのに。そうなればいいのに。と思っていた。
男性の性欲が見境無く怖かった。

私がそうなったのと同じように、女嫌いさんは「女性の金銭欲や尽くされ欲」が怖いようだった。
「女はみーんな男に寄生していかに低コストで一生楽するかってことしか考えてないカスで、そういう風に思われないように必死で努力している奴ばっかり。どんなに奇麗事言ってても行動だけ見れば男を食い物にする気しかないのは明らか。そしてこういうことを言う男のことを全力で見下しているんだ。同じ人間と思ってはいけない」
だそうで。
私も
「男性は全員いかにローリスクで女とHできるかしか考えていないカスで、もし身体をポーンと差し出されたら全員ガッツキにくる。もしいかない場合は女がよほどタイプじゃなかったか、自分の立場が悪くなりそうだという心配がある場合だけで、口先で綺麗なこと言ってもそれは全て嘘。都合の良くない女や性的対象にならない女は全力で見下していて、もし法が咎めない世界なら、そういう女を面白半分に陰惨なやりかたで殺す奴もいるたくさんいるだろう。」
って思ってた。
そして私と女嫌いさんの意見は、悪いとこばっかり見ているだけで、丸っきり的外れなわけでもないんだと思う。
そういう人もいるし、そういう要素を持っている人もいるし、そうじゃない人もいるという当たり前のことが見えていなかった。
それは、二人とも、見ないようにしていたのもあるし、単純に異性と接する機会が少なかったのもあると思う。


でも、私は彼に対してだけは「男性なので所詮は↑が本音だろうけど、別にそれでもいい」って思って愛することができた。
今は「彼の本音は別に↑じゃないな」と思うことができる。
女嫌いさんにはそういう相手はずっといないらしくて、そこが私たちの違いだったんだなと思った。


過剰に憎んでしまうのは、自分の非を認めないからだと思う。
自分も悪かったんだと思えれば、相手を、異性全体を憎んだり怯えたりしなくて良かったんだと思う。

それでも私は、あんなことをされても因果応報だと言われるような悪行なんてした覚えは一切なかった。
女嫌いさんに対して「正直ふったとかふられたとか裏切られたとかその程度の傷のくせに、女性全体にそこまで憎悪を抱けるね。大げさなんだね」とも思ったりした。

でもその女嫌いさんの姿は、傍目から見れば私を鏡に映したようだったらしい。
別に目の前にいる特定の異性にぶつけるわけではないけど、
怖くて憎くて異性なんか認めたくない、絶対になくならないドロドロした感情と、冷静な自分のせめぎ合いがあって、泣いても何年経ってもなくならなくて、頭ではちゃんと分かっているつもりなのにどうにもならなかった。
女嫌いさんもそうだったんだと思う。
私たちは、恋愛経験がなかったことや元来は惚れっぽいことなども共通していて、つまりそういう意味でピュアな人特有の感情が、同じ方向に捻じ曲がっていた仲間なのだと思う。



私は非を認められないというか、認めるべき非はなかった。
なので、今度は「事実」を知ろうとしました。
良いとか悪いとかではなく、例えば「人間は嫌なものからは目を逸らす」というような、
ただの事実を実感したときに私は少し楽になれた。
「泣いている人より笑っている人の方が好かれる」のような当たり前すぎる事実。
「泣いている人が泣いている理由は他人には関係ないし特に興味を持たれることはない」
「単純に『いい状態』の人が好かれるだけ。顔面・精神面・知能・才能」
「わざわざ『悪い状態』の人から好きになる人はこの世にいなくて、『トータルは低いけどある分野が(ある人にとっては)傑出していた』パターンか『悪い状態の人を好きになれる器の広い自分に浸りたい』パターンしかない」
「そこにはどんな悪意も作為もなく、自分自身だって、『いい状態』の他人から好きになっていく」

「自転車は鍵をかけないと盗まれる」
「別に『盗んでも良い』というサインではないが、盗まれる」
「鍵をかけてない自転車が盗まれても、他人は冷ややかである」
「また、『自転車を盗む側の人間』や、『過去に盗まれ(かけ)て不愉快な思いをし、更に周囲に冷ややかに当たられた人間』や、『盗まれる心配なんてない自転車にしか乗れず、それが強固なコンプレックスになっている人間』は、『鍵のかけ忘れ』が『窃盗』同一かそれ以上の非であるかのような物言いをする」

「そのどれもは仕方のないことで、個人の思いとかあまり関係ない」
「そうなるのが常で、なるものはなる」


私が彼にどうしてか好いてもらえたのは、私の過去とか一切関係なくて
ただ私の『状態』が『悪い』と判断されなかったから。
痛んだ部分もいっぱいあるけどトータルで「美味しく食せるレベルだ。俺これでいい」って判断してもらえたから。
そこを、自己評価が低いあまりに変に歪めて理解するのはやめようって思った。
彼も動物だし私も動物だしで、仲良くなったのは広い目で見ればただの利害の一致かもしれないけど、それでもいいって思った。


私は「レイプされたので精神を病んだけれども表面上は努めて明るく振舞いながら過ごし、数年経って今度は逆に無駄にセクシーなお姉さんキャラとして谷間を安売りしながらニコ生やってます」というタイプにはなりたくなかった。
きっと、人がそれを知ったら「あー精神病んだのは嘘で、エロいこと大好きなんだな。かまってちゃん要素はうざいから黙って乳みせとけー」って思うと思うから。
そして私はそう思われたら耐えられないから。

私は「レイプされたので愛する彼氏とも別れちゃった。私はそれ以来?性に対して不安定で、むしろハードなSMとかやらないと感じなくなっちゃったり、そういう大袈裟なプレイをする人間全部をすごい冷めた目で見たり。捻じ曲がっちゃったのかなぁ?w」というタイプにもなりたくなかった。
きっと、人がそれを知ったら「あーそういうプレイが一気に好きになっちゃったのね〜^^」と思うと思うから。
そして私はそう思われたら耐えられないから。

私は「レイプされたのでそれ以来なんとなく無感動になっちゃった。でも別に精神病とかにはなってないよ。別にされてなくても私みたいな子結構いるし。でもなんとなく彼氏とは長続きしないし私は熱烈な恋愛()とかできないみたい。いや、トラウマとかはないよ。Hしても普通にイくし」というタイプにはなりたくなかった。
ただでさえ不本意に汚されたのに、「自分が心に深く深く深く決めたわけでもない男に身体を好きにさせてしまった人」、にこれ以上なりたくなかった。

でも実際にはどのタイプの心も私の中に少しずつある。
唯一良かったと思えるのは、よくわからないまま男性と付き合ってやっぱり別れて、という事実だけは作らないですんだこと。


女嫌いさんも私も、呪いになるから、異性を責めない方がいいと思った。
呪いというのはオカルト的なものではなくて、他に表現が見つからないから呪いと言っているのだけど、
例えば猫を轢き殺してしまったら、猫の命も気持ちもそこでなくなるわけだけど、
轢いた人の心には罪悪感や、様々な感情がずっと残ると思う。
猫はもうそこでオシマイなのだから、それは別に猫の意志ではないけど、猫を殺したことで「自分を攻撃する心」や「自分は攻撃されても仕方がない立場だ」と思う心が自分に生まれる。
これが呪い。
これはきちんと「呪いを解かないと」いつまででも残るし、また、「呪い」は「そもそも呪われない人」には何の影響も与えない。
でも、普通は「自分がしたことは自分に返ってくるんじゃないか」って思いは無意識にどっかにあると思う。
私は男性は「そういうもの」だと決め付けていたから、自分のことも「そういう汚い目でしか見られることがない存在だ」とすごく自然に思っていた。

だから女嫌いさんも自分を呪うようなことは言わない方がいいのに。
解くときに疲れるから。
とか偉そうに思いながら、私は女嫌いさんと私の差は結局は、多分運でしかなかったんだろうなと気づいてしまって、ちょっと疲れました。


彼は私のことを故意に傷つけないであろうことは、ここ何年かで充分理解している。
「たまたま条件に合うメスを見つけたから」であってもいい。大切にしてくれている。
オスだから、私より若い子を見つけてはいそいそと浮気するかもしれないし、
「そういう男じゃないよ」と彼が示していたことが嘘になる可能性だってある。

それでも全然、別にいいと思ってる

それでもいいと思ってるけど、そんなことはきっと絶対にないだろうって思ってる。
この状況で疑う人は、本物のバカと呼ばれてもしょうがない。というくらいの状況で
そんな彼が全部全部知った上で「こつるのこと汚いって思ったことない」って一貫して言ってくれているのだから、私は処女厨がレイプ被害者を叩いているのを見たときの気持ちだとか、性犯罪の被害に合った人に向かって「でもあんたもねー…」と気持ちの悪い顔で言っていた両親を見たときの気持ち、ドラッグストアに検査薬を買いに行って店員さんがこちらに来たので逃げたときの気持ち、あのことがあったときの気持ち、その他色々を過剰に思い出すのはやめようってやっっっと思えた。
ずっと頭ではとっくに分かってて、私自身では否定しきれなかったけど、
彼よりネットの有象無象を優先するなんて、本当に無いなーと思った。
私の人生で出会った人の中で一番真っ当で真っ直ぐな彼を信じる。
他の人間の意見は、私にとっては取るに足らないって、やっと心から思えたのでした。
恋愛フィルター外してちゃんと吟味して考えても、筋が通っているというか、ただの事実を言われているだけだと思う。

まとまりを考えて書かなかったので、私以外の人が読んだらすっっっごく読みにくいのかもしれません。
もうそんな人はいないと思うけどごめんなさい。
また戻ってきたら推敲するかもしれないのですけど、
殴り書きのようなブログなので、多分このままです。

ああ

私はずっと怯えて怯えて
怖がってて
恐がりすぎてて
軽蔑されたくなくて
それが最優先だったから
攻撃する人が偉いみたいに勘違いして
自ら攻撃を進んで受け入れ、
ごめんなさいって尻尾を振り、
これ以上軽蔑されない方法を考えることだけに人生の全部を注いで
それでも軽蔑されていることを突きつけられ続け
心の底から奴隷根性全開で
「軽蔑されて開き直るなんてあの人はとんでもないカスですね!」
「私はそんなことないの!こんなにも本気で悔いている!」
「だから私って間違いなく死んだ方がいいけどあの人よりは叩かれないはずだよね」
ってやってただけじゃないのって
 
でもじゃあ私の非って具体的に何?とか
今まで私の人生で会った人の中で一番真っ当に見える彼は一貫して別に私を軽蔑してないな…とか
あ、この考えを続けていても「よしよしクズにしては言ってることは間違ってないよ」って賛同するのって、「あいつ」と似た奴だけなんだ。
あいつ強姦する一方でああいうこと言う奴だったわ。ははは。
 
とか考えた。




でも私は自己弁護のために考え方を変える奴は嫌いなんです

「一度軽蔑したなら、軽蔑できない立場になっても、自分が軽蔑される側に回ってしまっても、軽蔑を貫くといいよ
後でコロコロしょうもない言い訳をするよりはずっと素晴らしいはず。
そうでもしないと最初に軽蔑されて攻撃された人たちが可哀想だ。」
↑これは小学生入りたてのときに私が考えた筋の通し方です。
なんでこうなったかと言うと、ああ、これ、親との関係の影響だわってなりました。
私がこんな子供そのものの原理で動いていたことにビックリしました。

何で包丁を私に刺したんですか、何で可愛がってくれなかったんですか、日によっては優しくしたのは安易な誤魔化しなわけだけど、まだおねしょしているような幼児相手にそんな自分で恥ずかしくなかったですか、
って聞かないとこれ諸々含めて一生終わんない気がする。
離れるだけじゃダメなんじゃないかな。

とか考えた。
しょうもなさすぎるね。

他人事のようだと思います

現実感がない
水かお湯ばかり飲んでいる

どうでもいいのになぁ
私は何かの拍子に死なない限り今年も一つ年を取りますが、
今年はどう転ぶかわかりません
ここ4年もズルズル生きていたものが、ポンと飛び越える機会になるのかもしれないし、
これからの日々はもっと嫌な夢を見ながら耐える数十年になるかもしれません。

どうでもいいんです
ほんとはそんなに性的なことそのものに関して心が動いたりしないです
それなのにそこに付随する様々な記憶のせいで丸ごと不快なものとして認識しています。
たぶん。

どうやって例えたらわかりやすいだろう。

「顔にパイ投げみたいにして押し付けていじめられてたから牛丼を見るとビクッとしてしまうんだけど、牛丼自体は好きでも嫌いでもないし、味わったことすらなかったからさぁ」
「牛丼を顔に押し付けられても結構、物理的に耐えることができるよ。好きな人が牛丼を顔に押し付けたいなら受け止められるよ。」
「でも味がわかんないよ。舌なくなっちゃってると思う。美味しく食べて欲しがられているのは分かってるよ。」
「でも好きとか嫌いとか美味しいとか美味しくないとかじゃなくって、牛丼自体はほんとにどうでもいいんですよ」
「どうでもよすぎてなんなら目一杯不潔な環境で子供が作った牛丼でも飲み込めるしね」
「逆に、超高級品な牛丼食べても私にはわかんないんだろうなぁ」
「『美味しい?ww面白いwww』と、思われてるみたいに連想しちゃうから、『美味しく食べてくれるといいなぁ』なんて願望自体、抱かないで欲しいんだけどな」
「『可哀想だったねって言うくせに、自分も牛丼押し付けてくる時点で可哀想だと思ってなくね?』
と思うときと、
『いっぱい牛丼押し付けられて、悔しいとかの感情も全部流されて、死にたいくらいだから、あなたは優しくしてくれるし、したいなら牛丼押し付けてもいいよ』
みたいに思うときがあるけど、
多分前者のが健全な反応で、後者みたいな女は死んで欲しいくらい嫌いで、後者は貧乏くじをありったけ引いた後に笑われながら死ぬタイプで、後者を好きな奴はほんとは誰もいなくて、でも前者の態度は許されてない」
「あなたが後者みたいな奴のことを嫌ってないからだよ。責任取る⇔全て差し出させるという構図を作っちゃったからだよ」

みたいなことを話せない

牛丼に例えてもしょうもないな
少しは情緒あるものに例えれば良かった
中身に大差なくても、差がありそうな振る舞いをしてたら勝手に勘違いしてくれるんでしょ。
牛丼じゃダメだ
なんか底辺に落ちた気がする
すごく絶望的に頭の悪い、品のない、恥を知らない、そのことを恥じてもいなくて気に病んでもいなさそうな、
そんな感じがする。
そういう奴は全裸に剥かれて切られて㎏何円で商品にされても文句を言えないような、
そういう風に人を食いものにする奴だけが寄って来るような、そんな感じがする。

再生なんて無理なのかもしれませんが、今日も無駄に生きています
 
世の中には、苦悩を抱え込み死ぬまで酒に溺れる人がいる。
特に同情されるわけでもなく、ただの酒飲みとして、バカにされたり迷惑がられたりして終わる。
 
他人に対して「快か不快か」以外で評価する人なんかいない
だから私もいい加減に「快」だけを振りまいて裏で舌を出せ、といつも説教しているのに私は一向に改心しません。
死ねばいいのかしら。
 
今日はある話を思い出しました。
本当かどうかなんて知らないしどうでもいいけど、まとめるとこんな話です
 
ーーーー
 
圧倒的人気のNo.1キャバ嬢が客に強姦され、それをネタに更に輪姦される
どんどん行為はエスカレートして、
仕事中に呼び出されて店の裏で使われ精液の匂いが残ったまま仕事に戻らされる
 
密かに思い合っていた、恋人未満の男にそんな姿を見られ、
キャバ嬢はそこで泣き崩れてしまう
 
男が客を追いかけて殴り、店内は騒然となる。
そこからの経緯は忘れたけどとにかく客はキャバ嬢に手を出さなくなったそうな。
強姦の事実が客に知れ渡ったキャバ嬢はNo.1から転落するが、
同じ店でそこそこの順位で稼ぎ続け、辞めると同時に男と結婚する
 
ーーーー
 
超絶嘘くせぇのはさておき
私がこの話でいつも思うところ
 
1、キャバ嬢は強姦が周囲に知れ渡るのと耐えることを秤にかけて耐える方を取ったんだから、汚れた奴って認識されたくなくて頑張ってたんだから、ゴミ男は勝手な正義感でいいことした気になるなよ死ね。
こういう男こそが死にますように。
 
2、キャバ嬢の順位、下がるんだよね。
 
話が創作でも
この部分には誰も突っ込まないでしょ。
「そうだろうな」ってみんな思うじゃん
 
よく
「強姦された被害者は悪くないよ」とか
「同意じゃない行為なんか『性行為』にカウントしない」とか
「強姦されて初めてを喪失したんじゃなく、愛した男とが最初だよ」とか
「ただ暴力を受けただけ。性的な意味合いなんか感じなくていいし感じないよ」とか
そういう妄想まみれの糞ったれな意見が
いかに無責任な嘘かよく分かります。
 
正しくは、
「スペックが素晴らしいなら目をつぶってあげてもいいよ」でしょ?
「確かに汚れたけど妥協して許してあげるよー^^」ってことでしょ?
「ばっちいけどまあそういうことにしてあげるのでそのぶん尽くせよ」でしょ?
 
性的な意味合いがないなら、↑のキャバ嬢のNo.は何故下がったの?
 
どんな理由があっても一発は一発なんでしょ。
ねぇねぇ。

価値のない奴が人気出ないのは当たり前だもんね。
 
どんなに元々が美しかろうとアシッドアタックを受けたモデルはオシマイなのと一緒なんでしょ?
何で「モデルとしては価値がなくなったけど職業はそれだけじゃない」みたいな慰め方をしないの?
「 強 姦 魔 と 同 じ で 」
被害者本人の人生なんか微塵も考えてないからだろ。
最初からケイティ・パイパーみたいにならないとお前には価値がありません。見たくもないので仕事を受けないで下さい。許しません。って言えよ。
言えないなら何も言うな。
 
そういう意見は受けたくもない。
実際に、価値が下がるんだから。
実際に、見下されるんだから。
 
まず男に汚されるんですよ?
その男に見下されるんですよ?
その上、男から糞の役にも立たない慰めを頂戴するなんて舐めてる。
そんな「暴力」は、受けたくもない。
 
ねえ。
どう思うのか、正直なことを言ってよ。
 
でも調子に乗るな。
調子に乗って、糞みたいな価値観をペラペラ喋るな。
 
汚す性のくせに
「汚れたから俺は無理なんで^^」みたいな意味のことをベラベラほざくな。
一言で充分なんだよ。
 
ただ冷静に、自分の女が「そう」なら何を思うかだけ答えればいいのに
バカみたいにそれにだけ答えたらいいのに
 
どちらにしてもそういう「男」を一番嫌悪するのに
私の男もそういう「男」であることに変わりない
守ってくれても
愛してくれても
だから性的なことが絡むと発狂する
彼にしたら割が合わない
意味がわからない
それも分かるけど、
 
じゃあ別れろよ
私に、
愛されて育ち理不尽にねじ伏せられたこともない女並みの情緒を求めるなら
別れて下さい。
無理なんだから。
 
薬を飲んだり腕を切る人種と私は何が違うんだろう。
その人たちの方がよほど耐えきれないほどの何かを背負っているんだろうか
 
私も腕を切ったらちゃんと誰かに「傷付いた」と認識して貰えますか?
でも、まあ、そう思うだけで、この上「メンヘラpgr」までされたくないから
異常行動は絶対したくないんだけど
その代わり、少しでも思い出すたびにこのように↑人間性が汚れ続けるので誰かトドメを刺して下さい。
私だって汚れたかったわけではないです。
鈍感で無神経で想像力がないけど悪気もない人間に戻りたいんですが
でないと彼にも酷いことしているのは分かっているんですが
どう足掻いたって一回粉々に壊れたもんが直るわけないんだよ

中島義道の著作を読んでみたいと思いました
パンク的な主張を連ねる本でないことを祈ります
 
パンクを聞くことは、うんこを投げつけられるのと同じです
赤ちゃんの叫びと同じです
でも発信者は赤ちゃんほど無力でもないし、可愛くもない、能力がないことは同じ
ただただ醜い。
 
そのへんを歩いているおじさんが急に服を脱ぎ、やらせろと迫ってくる
金をくれと泣きながら殴ってくる
いかに自分が○○か、という主張を、吐き出し押し付けるのが全て
それを叫ぶ顔がもう見ていられないほど醜いのにです
根本の主張が同じでも、作品として美しく仕上げればそれなりに見れるものになるかもしれないのに、それすら良しとしない。
 
パンクからはそういう姿勢しか伝わってきたことがありません。
私の人生を狂わせたゴミクズもパンクを好んでいたような記憶があります。
ゴミクズはパンクを好むものなのか、パンクに洗脳されゴミクズになるか知りませんが
 
中島義道という人は、読んだ人曰くの評価しかまだ知りませんが、多分そういう人ではないように感じます。
 
私のように本当の意味で汚れた女から見れば、どこか救いになる文章を書いている人かもしれません。
 
私が汚れたというのは、強姦されたことではなく
私は強姦された女だから…という思考に支配されていることでもなく、
例えば、ホテル街の近くで私の顔をジロジロ見た男を殺そうとする心の動きのことです。
 
あらゆる男に対して殺す以外の解決策を見いだせません。
そして実際には殺せません。
 
私自身もゴミクズの側面を背負わされました。
私という人格に対して、これ以上ない攻撃です。
ぶっちぎって死んだ方が楽にも思いますが
やはり今日も、意味のわからないままなりにですが、
死んでも裏切れない位置にいる自覚に代わりはありません。
 
私が自分の体に「人間」の価値を認めず売り物にしか感じなくっても
彼が嫌がるので、じゃあ絶対に売りません
 
嫌がる理由は本当のところは多分理解していません
 
それでも「嫌がることはしたくない」の一念で絶対に売らないという決意くらいはできます。
 
死ぬのも同じことです

虐待

虐待されました

父は包丁を持って走って追いかけてきました
私は絶叫しながら壁際まで逃げて追い詰められました
包丁を首になすりつけてずらしながら
「お前は、カスだよな?」
「カスは、生きる価値ないよな?」
と言われました。
自分の口で「私はカスです」と言うように強要されました
このときの父の歯の並び、磨き残した歯垢の位置まで鮮明に覚えています
 
あるときは髪をつかまれて壁にゴンゴンと打ち付けられました
 
あるときは弟が私の背中を蹴るように強要されました
弟は渋々といった感じで蹴り、
つまらなさそうに父に「自分でやってよ」というようなことを言いました
父は弟に丁寧に謝って弟を開放しました
 
日常的に殴られる私の苦痛は姉を蹴る程度の弟の不快感よりも下なんだと思い知らされました
 
そういうことをすることで私がどういう気持ちになるかを見越した上で
父は殊更丁寧に、これみよがしに弟に謝罪したのだと思います
 
それで憎くて仕方なかったのですが私はそんな父に養われている立場で、
立場を自覚していたので抗議しても喧嘩を売っても無視しても
結局は父にも他人にも「バカな娘の反抗」としか思ってもらえないことを知っていました
結局は五体満足で一日に三度のご飯が食べれていたのですから
母も、私の反抗期だと片付けたいようでした
 
今こう書くと洗脳されていたんだなと思います
父の書斎にはSM雑誌が大量に隠されていました
そのことを含め思い返すと今更ながら、今、吐き気がします
 
私は結局、「食べさせてもらっている恩」とかそういうもので
憎しみをごまかして父と距離をとるくらいしかできませんでした
 
最終的には中学3年生の頃、
馬乗りになって顔を殴ってくる父をいつまでも完全に無視していたらそれから殴られなくなりました
 
そういうことが積み重なって私の頭はおかしくなったようでした
「ツッコミどころが自分にある」状態が怖くて仕方なくなりました
キリスト教原理主義者のような考え方をしている部分がある、とも言われました
 
これは流石私のことを誰よりも考えて下さる方が言うだけあって、近いものがあると思います
ただ私の指針は宗教ではなく、キチガイのような理不尽な父で
私を原理主義者的な考えに駆り立てたのは信仰心ではなく、叩かれることへの恐怖でした
なので私は本当はああいう考えは大っ嫌いなんですが
思い通りになるまで、もしくは黙るまで殴る、という手段でずーっと支配されていた私は
大っ嫌いなそんな考えを、仕方なく、受け入れて当然のものとしなければどうしようもなかったです
もちろん私はそうだっただけで、同じ状況でも別の手段を選ぶことができる方はいると思います
ただ私にとってはそうする他にありませんでした
 
奴隷が奴隷商人のことを憎みながらもその憎しみから目を背けて尻尾を振っている状態に近いです
むしろ歓迎するように受け入れた方が、心理的負担は少なく生きられるのです
奴隷根性が染み付いています

顛末

奴隷が奴隷商人のことを憎みながらもその憎しみから目を背けて尻尾を振っている状態に近いです
むしろ歓迎するように受け入れた方が、心理的負担は少なく生きられるのです
奴隷根性が染み付いています
 
あの記事を書いてから5週間くらい経ったので随分冷静になりました
コピペブログに転載されているのを発見し、付いたコメントを全て読みました
冷静になったというのは「バカな暴論を書いたなぁ」という気持ちになったということではなく、
「もっと簡潔に書けたのになぁ」とか、
「ちゃんと主張が伝わるように構成を考えてから書けば良かったなぁ」とか、
そういうことです。
 
私の主張は女嫌いのキモオタの妄想そのものです
もっともらしくグチャグチャ理屈を捏ねたところで
あの種の偏見の根底にあるのは
「楽して気持ち良くなって金稼ぎやがって汚ぇ!!どうせヤリマンなんだからタダマンさせろ!!苦しめ!!あるいは死ね!!」
という身勝手でシンプルな感情だと思います

私はそういうキモオタ的な思考の人間にずっと支配されていて、
その主張を否定することができないほどに暴力で従わされていました
いつしか私自身の考えにも成り代わり
それでああいう記事を書くに至りました
私女なんですけどね
 
キモオタの文章を見ると、「ああ、これは、正しい意見だ」と感じてしまうのです
一方できちんとそういう意見を嫌悪する気持ちもあるのですが、理不尽なことを高圧的に言われるともうダメです
ネット上で声高に女叩きをするクズどもを見て、強姦されたばかりの頃の私は何も言えなくなりました
全て当然の批判であると思い込んで全てを読みました
読むと惨めで死にたくなるのに読まずにいることはもっと怖かったです
キモオタの負の感情は呪いのように私の中に残り、健全で前向きな思考になるのを邪魔します
これが私の「わけわからん」所以です
 
なのであの記事に賛成していた少数派こそ、本来は私の仇のような存在ということになります
 
強姦経験や風俗経験により女性としての感受性が粉々になっているので尚更、
「男の文章にしか見えない」という評価を受けることにもなったと自己分析しています
 
大っ嫌いで死ぬほどキモい意見だと思うのに、高圧的にネチネチ理屈をつけて言われると否定しきれなくなる
正しいと思ってしまう
そんな自分のことも殺したいくらい嫌いです