私は想像力がない

私には恥がない
小学生の頃から、母が水商売をしていたことを簡単に人に話せる女だった
話せば同じ小学生の安い同情を引けたし、母の気持ちなんて一切考えなかった。
(まあ母も私の気持ちは考えてなかったけど)
 
今は「学習」して、「人の気持ちを考えられない悪い人間」という評価は受けていない
誰かが理不尽に嫌な気持ちになりそうであれば、よく考え、ときにはない知恵を絞り、なんとか阻止しようとする。
その様子は我ながらお人好しにしか見えない。
正直他人には要領が悪く映るだろうし、なめられやすい。
けれど、それこそが私の理想であり目的である。
無条件に敵意を向けられる可能性が最も低い外面だと考えているからそうしているだけ。
飼い主に尻尾振ってちんちんをしている犬。
暴虐な主人に芸を見せるピエロ。
気に入られるための芸。そういうようなもの。
芸がどんなにマヌケであろうと攻撃されるよりはマシ。
 
芸がどれほど真に迫っても、台本ありの茶番でしかない。
ニュースの向こうの被害者に同情したことなんか一回もない。
祖父が死んでも悲しくない。同レベルの出来事。
けど一生懸命泣こうとする。悲しいんだと思い込む。なりきる。
で、しょぼい涙をちょろちょろとひねり出したらやはり母は安心したようだった。
そのときはネットで見た悲恋小説を思い出して泣いた。
父に過去の暴力を謝られたときも、肯定的でありつつ素直になれないニュアンスを含ませた言葉をぶつぶつ言った。
それ以外の反応が想像できなかったからで、許す許さないの葛藤の末の言葉ではなかった。
責めるとか許さないとか許すとかの思考が面倒臭く意味のないものに感じられた。
物語を使うと私は簡単に泣く。
けど、それも記号的なもの、悲劇的なポイントに反応しているだけで、スポーツの汗と変わらない。
エロを見てなんとなくいやらしい気持ちになる程度の、反射的な反応でしかない。
泣いたと言っても、それ以降ほんの僅かでも生き方が変わるような変化をしたわけではない。
私には本当に想像力がない。
 
私は彼のことが本当に好き。
好きではあるけれど、彼がもし失明をしても悲しくはない
きっと物語の中で誰かが死んだ程度のものとして、数時間以内に精神上の処理をすませてしまう。
私には本当に想像力がない。
けど、私はどうしても彼が好き。
 
愛情は神聖でも特別でも高尚なもんでもない。
ママはご飯をくれるー!ママ好きー!
パパは私のために働いてきてくれてるー!パパ好きー!
彼女は柔らかくて癒されるしHの相性がいい!彼女好きー!
彼は私の些細な変化さえ見逃さない!彼好きー!
全部純粋な感情だと思う。
自分に気持ちいいことをしてくれる人間のことがみんな好きなんだ。
「お金くれるから好きになった」も間違ってないはず。
詐欺は別として私には想像力がないから何故お金を引き合いに出すと「悪」とされるのかが分からないけど、
多分、「お金が判断基準になるなんて品性下劣」ってとこなのかな。
 
自分に気持ちいいことをしてくれる人間のことがみんな好きになるのは間違っていないはず。
生きたいから、生かしてくれる両親・育ての親が好きになる。
話を聞いて欲しいから、黙って聞いてくれる人が好きになる。
癒して欲しいから、癒してくれる人が好きになる。
無視されたくないから、目が合ったら微笑む人が好きになる。
全部その延長。
自分に「気持ちいいこと」をする人が好きになるはず。
私にとって彼は「売女の私を人間扱いする人」だった。
それが嬉しかったから好きになった。
たったそれだけなんだけどトータル千人超え?と相手をして、彼くらいしか私を人間扱いした人ってのはいない。
何も客なんかと…って思ったけどたったそれだけが私は死ぬほど嬉しかったみたいで抗えなかった。
生きててもいいんだーとさえ思った、強烈な嬉しさだった。
恥ずかしくて惨めになった。
彼との出発はそこからなので、私が生きたい限りは彼を好き。
性欲が枯れても生活で情が褪せても順調に家族愛に変化するはず。
 
強烈に気持ち良かった記憶は絶対に裏切れない。
自分にとって根深い問題が根底にあるのなら当たり前。
彼の存在を肯定し続けなければ私が「死ぬほど」苦しくなる。
 
それでも、それでも私は彼が事故にあっても、なくなりさえしなければ私は数時間で平気になってしまう。
悲しい映画を見てしんみりする程度…。
母が半身不随になりかけてもそうだった。
祖母が救急車で運ばれ2度死にかけても二度ともそうだった。
想像力がない女でごめん。
そんな女のくせに嫁になりたがって、受け入れさせてごめん。
 
でも、このブログには嘘を書かない。
普段からまともに見せるための嘘にまみれてるから、いざってときに彼に嘘ばっかりの行動をとるのが怖い。
そうならないために、自分はこういう人間なんだと理解しておく必要がある。
自分の嘘にまみれるばかりでは、嘘に鈍感な人間になってしまう。
本心という指針ありきで行動するのと違うんだから、普段はほとんど見抜かれない程度のアラでも非常事態には分からない。
 
まあ、私は対処法を学んでいるので、悲しい顔をしていた方が得だって、嫌われないって知ってる。
密に世話をして、いたわるだけで「心から心配してる」って思われて、他人には違いなんて分からないって知ってる。
けど私は全然悲しくない。
親しい誰がかたわになっても悲しくない。
だからって傷付けかねないことは絶対に言わない。
でも、ただ、悲しくない。
私には想像力がない。
想像力がないくせに嫌われたくないし傷付けたくない。
だから一生懸命「パターン」を覚えた。
これは一桁の計算ができない人間が、1+1=2、1+2=3、と丸暗記する感覚に似ていると思う。
もちろん計算ができているわけではないから、暗記に覚えもらしがあればアウト。
まあ計算のように法則性を掴んだ部分もある。
けど、感情の場合は頭で理解するだけでは本当は足りない。
自分の感情として生きなければ意味がない。
感情を理論で理解しても意味がない。
 
全部妄想で自分の感情が把握できていないだけかもしれない。
けど、悲しいのも悔しいのもどんな感覚かだいたい知ってる。
だから、感情自体わき上がってこないとどうしていいか分からない。
 
全裸で仏壇の前で四つん這いになりおしっこができる。
初対面の人間の前でパンツを脱いでY字バランスができる。
私には恥がない。
でも、嫌われるのだけは、攻撃されるのだけは強烈に怖い。
なので人がどう思うかを考えて、おしっこもY字もできない。
結局私は飼い主に尻尾振ってちんちんをしている犬。
暴虐な主人に芸を見せるピエロ。
不興を買いそうと思い込んだらもう何もできない。
だから、素のときに思い出されるのが怖いから、彼の前で変態にはなれない。
変態になりたい願望自体がないから余計だ。
やれと言われて、やらなきゃいけない状況なら全ての執着を捨てられる。
やすい人間。
流石、安い金で乳触らせてヨダレでべちゃべちゃにされて指をがっぼがっぼ突っ込まれた人間。
主人とは私以外の人間全て。
 
汚いことをしたから感覚がぶっ壊れてしまった。
彼は、元カノがミニスカノーパンで出歩ける人間だったと、「とても信じられない」って顔で、言い方で、言った。
ああ、彼には感情があるなぁって思った。
いや、私だって感情自体はあるけど。
他人に感心が向いて、それで感情が揺れるなんてすごいよ。
私だって「敵」と思えばむかつくけど。
元カノの場合、それで誰に元カノが嫌われようが公然猥褻で警察に行こうが彼は困らないのに。
私もまともになりたい。
もう今更まともになれないのかもしれないけど判断つかない。
まともになりたいって思い続けたい。